伝統文化

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古来より鳶頭は実力、
そして度胸と粋な心それがを組を組

木遣

労働歌の一つ。木遣り歌・木遣り唄とも。本来は作業唄だが、民謡や祭礼の唄として、各地に伝承されている。木遣の起源は作業唄で、複数人で仕事をする時に力を一つにまとめるために、掛け声や合図として唄われたものである。

印半纏

 袢纏と一口に言っても様々な様式があります。
 日本人の何とも「粋」なところは、その仕事、文様、意匠などにもふさわしい名前を付け、それを楽しむところです。中でも江戸時代の花形職種「火消鳶」が纏った半纏には粋な文化が根付いており、良き伝統は今も継承されています。

纏の由来

纏が、馬印であり武具であった事は、安土桃山時代の豊臣秀吉、武田信玄等の金扇の馬印が有名であり、統率の便を計ったのが始まりとされる。

寛政三年頃、江戸町火消しが造られたと記されている。

享保四年、大岡越前守の命により「火消し鳶」、片仮名付け「いろは」四八組と本所、深川十六組が組織された。
後に、江戸町火消しの伝統と精神として、今に伝承されている。

梯子乗りの由来

本来は、仕事をするための準備運動として、鳶職が梯子に乗ったのが始まりで、梯子のりを初めて行ったのは、江戸に在住していた「加賀鳶」だという。
火事の出火を見届けるのに、火の見やぐらの代用として、付近を見渡すのに使用したと伝えられる。

加賀鳶は、前田藩に所属し、本郷の加賀屋敷(現東大の位置)につかえ、加賀藩に課せられた「大名火消」の任務を担当すると共に自邸の消火の任にあたった。

ある時、上野、池の端付近から出火したとの報せに出動し、
現場についたが一向に火の手が見えない。

そこで持参した「梯子」を立て、急場の火の見櫓の代用に付近を見渡したが火の手は見えないので、「出火は誤りである」と報告したところ「もう一度よく確かめろ」と言われ、更に、灰吹きのところまで登り足を竹に支えて、小手をかざして、あたかも高見の見物をするような格好をした。

それが後に「遠見」という芸の原点になった。

町火消と違い、大名抱えの「火消専門職」ともなれば、火事がなければ暇を持て余し、梯子を頑具に、様々な芸が開発されたのだろう。現在も、我々業界の型とは多少の相違はあっても「梯子のり」も、「纏振り」も、伝承されている。

一本八艘

一本八艘

右膝を灰吹の上にのせ左手は右灰吹を持ち左足は右膝の後ろに廻し安定したら右膝前の手で灰吹を叩いて、その手を延ばし同時に左足も延ばす。

二本八艘

二本八艘

右膝を左灰吹きにのせ、左足首を右灰吹の中程に掛け、両手を揃え、灰吹を叩いて腕を広げる。

あとがき

「江戸名物名残ノ町火消モ 年ヲ経ルニ従ッテ其真相ヲ忘レラレ 増シテ印半纏ハ其当時ノ組合モ明治三年改正ニヨリ一部廃止現今二至レリ 今ニシテ真相ヲ極メズバ向後十年ノ存続モ覚束ナク跡ヲ断ツハ当然 此二至リ補足困難卜感ジ筆ヲ執ツテ立ツ」

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